2011年9月30日金曜日




それでは今思ったことを書きましょうといわれてもわたしは正直にものごとを書くことはできません。なにを思ってどれを書いてもそれは自分に言い聞かせているようじゃないか。だれにも見せるつもりもない紙の日記にだってそう。そこに本当のことを書いた瞬間に認めてしまうような気がして怖いのです。本当のことって何?じゃあ私は自分にこそ嘘をついて生きているの?違う、それは嘘ですらなく、曖昧なつかめない感情を言葉っていうカッチリしたものに変換することを恐れているんだ。決めかねている、それが知っている言葉の中で一番近い気がします。どうして存在している物事に人は名前をつけたがるのだろう。形のないものにだって名前をつけようとするのはなんでだろう。形のないものは存在していないの?人間には目に見えないものが多すぎる。人間は見えないものに囲まれすぎている。だからみんな不安になるんだ。得体の知れないものに囲まれて追われている。つかめない、わからない、だからそこにキチンと存在するものにするために名前をつけて安心するんだね。安心したい、安心したい。つかめそうでつかめないものに名前をつけて安心したい。見えないものなんかのせいで悲しみ暮れるのはもう嫌だ。見えないものにこそ感動するべきで、言葉にならないものにこそ心を震わせるべきなんだ。



見えないもの へ

どうか姿を現して下さい。

風が誰かの髪を揺らすみたいに

存在していることを私に知らしめて下さい。



もうそこにいないのなら誰か教えて下さい。