今まで歩いてきた道が迷路のようなものだとするのなら
今わたしが選んだ道は果ての淵までつづくような
どうしょうもない一本道なのかもしれない。
時折気まぐれに何も記さないのっぺらぼうの標識が現れて
わたしはどうしょうもなく何度もにらめっこを繰り替えす。
何が書いてあるかが重要なのではなくて
なぜそこに標識を立てたのか
そればかりが気になって
一日の終わりにのっぺらぼうの標識を眺めるのだ。
ただ言えるのはわたしが決めたその道を歩いていけるのは
時折気まぐれに何も記さないのっぺらぼうの標識が現れるからだ。
何も記さないのっぺらぼうの標識に今日も導かれるのだ。